『映画ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー・・・ですか!?』の感想長めに書いちゃいました♪

映画、みてきました。*1
もう毎週、TVシリーズの展開に、熱く胸焦がしてるお友だちの皆さんには必見!!!!な映画かと。
数多の劇場版にあるような、
必然てきにメタ性を帯びてもしまう、
祝祭性の方にはっちゃけた方向ではなく、
シリーズの正統的な番外編に位置付けられるものでしょう、そこにしびれる。
(ただしもちろんお祭り映画だって嫌いじゃないですけどね、あたし。
 プリキュア映画には「オールスターズ」があるから
 さいわいにして、こっち方面の映画がつくれたんだろうな、とも思うし)
しかも制作態度としてとてもフェア、やったと思うん。
うん、まあこの映画みなくてもきっと、
TVシリーズだけしかみないつもリのひとにもこの先、
「それ聞いてない!」的な、
映画でしか明らかにされない、設定てきな何やかんやってきっと無い、と思うん。
けれど、最終回に向けて、
鑑賞する受け手が持つ情報量に厚みを増す、補強てきなネタが盛りだくさんだったハズ、
たとえば、、、
サラマンダー男爵に相対したときの
キュアムーンライトの言葉、気持ちのあれこれ、
ゆりさんのお父さんの失踪の真相はまだ不明であるけれど、
可能性のひとつとして、
父親が残された家族のことを考えずに去ってしまったかも知れないということ、
そんなことも抱えているだろうムーンライト/ゆりさん、
このゆりさんをみていれば
クライマックスに向かってく『ハトプリ』に
なおさらたまらなく何百倍も、惹きつけられてたまらなくなる。きっと。
・・・

 二〇世紀が終わってから、ほぼ一〇年が経過しました。これからの一〇年から二〇年で、ふたたびわれわれに、二〇世紀の初頭に起こったような激しい文化的変化が訪れるのであれば、その準備はすっかり出来上がってるはずであり、それはすでにわれわれに開示されている。とわたしは考えています。
 さて、「ファッション・ショーにおいてモデルは、歩くのであって、踊らない」というのが前回のトピックでした。ファッション・ショーでは、モデルも観客も音楽を無視して踊らず、彼女たちが互いに視線を交わしたり微笑み合ったりするような、直接的コミュニケーションを試みることは絶対にありません。この悠然たる無視によってシックとエレガンスが生まれ、それが貴族性の痕跡であると同時に、新たな市民社会を駆動するエンジンにも見立てられる、一種のキメラである、ということについては前回解説しましたが、二一世紀に入った現在、ここ東京であらたなファッション・ショーのスタイルが生まれており、このショーでは、モデルたちは音楽に合わせてランナウェイで踊り、「友達」に近い関係性で繋がっている観客たちに向かって手を振り、笑顔と歓喜を大いに共有します。
 二〇〇五年からスタートし、現在では東京ハイ・モードの中枢である東京コレクションを質量共に追い上げる勢いを誇る《東京ガールズコレクション》の映像を見てみましょう。 

菊地成孔 大谷能生エイゼンシュテインから「オタク=黒人」まで』(文藝春秋
 アフロ・ディズニー エイゼンシュテインから「オタク=黒人」まで166頁より)


さてさて、
『映画ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー・・・ですか!?』では
ファッションショップ"フェアリードロップ"のデザイナーである、
来海えりかのママがパリでファッション・ショーをすることになって、
えりかのお姉さん、
「現役高校生カリスマモデル」のももか(プロ)と、
ものかの友人の月影ゆりさんと
えりかと
えりかの友だちの花咲つぼみと明堂院いつき(素人集団)が
モデルとして出演することになって、パリに来てますよ、
ってのが始まりなんだわけですが、
そんなことが成り立っちゃった背景に、パリからの、
東京ガールズコレクション》てきなものへの関心の高まりがあったりして、
なおかつ、
明堂院学園祭での、
えりか演出、ファッション部のショーの動員数が評価されて
(たとえその主な要因が、ももかファンがおしかけたことによるにしても)
このモデルたちでいける、いやこの子たちでこそ!っていうコンセプトになってたり?
とか脳内補完するのも楽しかったり♪


夢も花もあるアニメだからさ、
とにもかくにも、
主人公たちがショーやることになっちゃったんだから!!
だけで良いでしょ、って話しもあるかもですがいやいや、
現実とのリンクあらばこその感動の深みだったりするですよ、
それはTVシリーズであった、なみなみの家庭の事情っていう、
現実てきなそれとも同じようなことではないかしらん、ってゆう。


ともかく『映画ハトプリ』には今、の風が吹いていて、
そこに係わっているつぼみたちプリキュア
古都にしてファッションの先端パリで
数百年ものあいだ封印されていた、
爵位をもつ(僭称?ホンモノ?)砂漠の使徒
サラマンダー男爵と対決するっていう図式もなかなに印象深く、


劇中でつぼみたちがウォーキングの練習をしてたように、
映画エンディングでちょこっと見られたショーの内実は、
歩くの中心であったようだけども
観客に向けてはいっぱいレスポンスして、笑いかけたりしてたようで
たぶんきっと様式のはざまで魅力的に揺らいでたものであったはず、
(アマチュアとプロのモデルがステージで混在している、ということも含めて)
エンディング曲が、
4人のプリキュアが踊る、
TVシリーズ版のファッション・ショーアレンジである、といのも興味深かったり♪
・・・
告白すると、
いっかい目みたとき、
ああやっぱりショーで終わるのかあと思ったのと同時に、
「えっさいごは踊りで締めてくんなきゃなんだか寂しいよ」
って気持ちもあったのも事実だったりしましたが、
今はやっぱりこれで良いよね、って思ってたりします。


で、そのエンディング映像みながら、
ああ、劇場版としては
シックな方向性だったよね、としみじみ感慨を深めたりしてたのでした。


と、
お祭りてきにはっちゃけてはいない、にしても、
順繰りに繰り出される、
各キャラクターの見せ場(ターン)は
プリキュア時も、日常時(非プリキュア時)も
とてもとても見応えがあったのなんのって、


変身バンクの登場、組み合わせ方もおお、こう来たか!っていう、
つぼみ→えりか&いつき(おっ)→タメて、ゆりさん(おおおおっ)!
っていう、
劇場内で思わず叫んじゃいたくなるような嬉しさだったり、


さいしょにつぼみが事件とかかわって(ルー・ガルー/ナゾの少年オリヴィエと出会い)、
えりかが拾い、
いつきが拡げ、
ゆりさんでもって事件の核へと運ばれてく、
そんなTVシリーズの反復とも思わせる構成も面白くって、
なおかつ、
こないだTV版の、
最後の試練越えエピソードで示された(と、あたしは思ってる、)、
やっぱり花咲つぼみこそ『ハトプリ』の真の主人公!っていう方向性が強調されてたようで
「つぼみってやっぱときどきホントにすごい」
って感じさせられたのでした。
つぼみが好き、っていうよりか(いや、好きなんですけどw つぼみ「も」ww)
つぼみが主人公な『ハートキャッチプリキュア!』ってお話しだからこそ、
大好きです!って気持ちになっているのさ、なう。
(でもって陰獣た・・・あいや、
 妖精たち(含コッペ(含イケメンさんver.)さま)の、
 短い出演時間に最大限の効果を上げる演技っぷりもものすげかったり、チュウチュウ♪)
・・・
で、
えっと、うん、そうだね、
いっかい目み終わったときは
ダンス締めでなかったことに加え、
敵役であるサラマンダー男爵の設定が正直消化しきれてなくって、
むー???
な気持ちもあったんでした、やっぱり。
どうしてこの人は
オリヴィエがあそこまで近づいていったのに、、、
どうして
どうして
彼に対して世界に対してああまで頑なに・・・
とか気にしつつ、気にしながらご飯食べて(略)家に帰ってお酒のんで寝て、
あさ起きて、
気になってたあまり
また劇場に足を運んで2回目みてしまった、ってゆう、、、
んで、
敵役としては出色の造形、
奥の深さだな、サラマンダー男爵!
とか思ったのでした、
いやいや数百年におよぶ世界への絶望と憎しみ、
そして、
自分の末路への予感。
そしてオリヴィエを"選ばざるを得なかった"こと。うむむむ、
そうか、そうか、
いや真の意味ではぜったい解らないけどね!だがしかし、


闇ばかりでは何も見えない。
花も咲かない。


『映画ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー・・・ですか!?』はそうしたお話し。
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*1:てか現段階で3回、劇場行ってます(あせ