キュアアンジェに冒険、いや祈りを見てみる冒険。

『映画ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー・・・ですか!?』について、
ふたたび。




(※ネタばれ注意↓)








・・・
おれが小っちゃいのにあの力を与えたとき、
べつだん、深いことを考えていたわけじゃない。
それがあいつを
こちら側に引き寄せることになっちまう、とかさ。


そう、世界から排除される存在の方へ。


当時は未だ、
まホントは今になってもずっとそうなんだが
非力なものが旅して周るにはあちこち野蛮だったし、
その都度
助けに行かなきゃならなくなるのは、
面倒だろうが。


だからだよ
ただ、それだけなんだがね。
あいつを<ルー・ガルー>にしたのは。


だれかが傍にいることを、
願っていたわけなんてない。




だがね、
くそいまいましいキュアアンジェ!


今にして思えば、
読んでいやがったのかな。
俺が、
おれにかけられた封印を解いたものを
即座にとり殺したりはしない、ということを。
たとえ世界への憎しみを、
四百年前も降り積もらせていたとしても。


そしてまさか、何もかもが、
あのプリキュアの手の内にあったとか、まさかな。
封印を解くものの条件、
それをあの女が設定していやがった?
小っちゃくて、独りで、
おれの前に現れて
ものおじせす、
おかげでおれは、あいつと旅しちまうことになったのか、


そして。
・・・
なーんて、
(サラマンダー男爵のモノローグ)を捏造してみましたよ、
独白だから一人称は「おれ」なのだ。へへ。


すべてはキュアアンジェの手の内にあったのかもなー、
てお話しでして、
西遊記のお釈迦様のエピソード、
孫悟空が世界の果てまでピューンって超高速で筋斗雲で飛んでって
世界の果ての柱に落書き、てか署名して帰ってみたら
その柱がお釈迦様の指だったっていうのとかも思い出したりするわけですが、
手、
『映画ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー・・・ですか!?』って、
手の込んだ、
手の演技にも幾つか見どころがあったなあ、って思うわけで、
白眉なのが
オリヴィエの変身シーン、
つぼみたちの、パリで滞在しているアパートメントでの、
夜の出来事、
伸びてゆく爪のためオリヴィエは、
自分を助けにきたつぼみに手を差し出せない、
うんあそこはぎうっと胸しめつけられましたね。


んで、
それよりさらに遡ってアヴァンタイトルにて。
エッフェル塔の鉄骨の上パリの灯を見下ろしながら、
世界への呪詛をとうとうと述べる男爵の音声にシンクロして、
画面で
握りしめられるのはルー・ガルーの手。
あそこで
男爵がそうしていたのなら、
それはいかにも紋切り型の、自己完結した悪役にふさわしかったろうね、
すべては、
彼にとっては彼のために在り、
彼のために物事を推し進め、そして最後は悪役らしく独りで滅んでゆく、というような。
でも男爵はそうじゃなかった。


映画中盤でオリヴィエは空を見る、
手をかざして。
手の縁から、太陽の光が洩れてくる。
・・・
サラマンダー男爵も、ルー・ガルーと同じようにすることになる。
手の向こうに輝くのはいまのプリキュアたちだ。




クールな態度をつらぬいて、熱くならないサラマンダー男爵のキレどころ、
それが
キュアアンジェに封印されたときを思わせる、
キュアサンシャインの目つきだったわけだけれども、
それが男爵の言うように、
憐れみのこもった上から目線
(映画でどういう言い方されていたのか覚えてませんが)
であるのか色色色々と考えてしまったわけで、
、、、
はっと気づいたのが
男爵はまるっきりスルーしているんだけれども
そのシーンで、
キュアアンジェの周りを他のプリキュアたちが取り囲んでいたわけで、
つまりこのとき、
キュアアンジェは独りで戦う戦士ではなかった、ということ。
(かつての、
 キュアムーンライトと同じような体験をしてきたとか???)
けれども
男爵はキュアアンジェしか眼中に無かったんじゃあないのかと。
キュアアンジェはともに戦うプリキュアたちから力を得ていたけれども、
たぶん、
たしかにリーダーよりは個々の戦闘力が下回っていただろう他の戦士たちなど
サラマンダー男爵は気にもとめていなかった、とか。
で、
そんなことをしっかりキュアアンジェに悟られていたのではないかと。
だかららこその、
憐れみの視線。
なんじゃあないのかしらん?って。


そして、
"浄化ではなく、封印"。


キュアアンジェが男爵に施したのは封印だった、と。
浄化、
浄化した方がてっとりばやい筈。
けれどサソリーナの例にもあるように、
(サラマンダー男爵という存在の出どころに、
 サソリーナと同じく"人"がいるのかどうかは不明ですが)
砂漠の(元?)使徒としての、
サラマンダー男爵の孤独と憎しみの考え方は、
どこかへきれいに消失してしまう。


われながら妄想が暴走しておりますが、キュアアンジェは
浄化という方法の先、すら
見すえようとしていたのかもしれない。なーんて。
萎れた心の部分を取り去るのではなく、
その考え方を覆してみせること。
そのために封印という手段をとり、
(砂漠の王により心が失われていない)遠い未来で
封印を解く資質を持ったものが現れる可能性と、
未来のプリキュアたちに託すこと。


封印を解く資質、
それは男爵の心を変えていく力を持つこと。
世界に飛び散った力を集めて周る旅のあいだに。


しかし
蘇った男爵によって世界は危機に陥った(ように見える)わけで、
そんな試みなんてキュアアンジェはするだろうか。
あり得ない、ですか?


でもそんな、
祈りに似た試みをしてみせることこそ、
心とともにある、世界に必要なことだとしたら?


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