さかのぼって聖ヴァレンタイン、2月14日は

久々、LOVEJOYのライヴをみるため東京へ行ったんでした
月2回目の上京ともなるとあんまり予算も出ないので
いろいろ見て廻る予定も無いんだよってんで
お昼過ぎに家出て夕方吉祥寺に着いて
とりあえず花仙堂で珈琲と苺のミルクレープ食べてから
それでも
割引クーポン券2,000円分を貰ってたので丸井だけ覗く
有効期限がある券なので使わなくてはってことで。
名古屋に丸井ないんですよ、えっと、無いよね、ワタシの知るかぎり無い。
で。いろいろみてたらいろんなものが可愛くて可愛くて。
とくに靴売り場、
もうなんなんすか脳がやられちゃうくらいにカワイイのがいっぱいじゃないですか
その、可愛いってのに凄い力を感じたりして。
(でも買ったのは GAP のジャケットなんですけど)
それは否定できない世界の魅力っつーかナニモノかである、と。
でも自殺しようとする脳にはそういうものも無意味なものとして、あるのかなーと
冬の夜風のなかマンダラ2に向かいながら何故だか考えていて
それは数時間後、朝を待つマンガ喫茶のインターネット席で
三原順さんのはみだしっ子関連の個人サイトで読んだ、
フランクルだったかエリ・ヴィーゼルだったか(曖昧ですみません)
強制収容所を生き延びたのに死を選んだ人の話しにつながっちゃったりするのだけれども
会場入り口でビッケさんからチョコレエト貰っちゃって
って
入場者全員へのプレゼントなんですけどね、貰っちゃってヤタ!ってよろこんだりしたのであった、
ギネスにアラブ風サンドイッチ食べてああおいしいようと思ったりしたのであった、
LOVEJOY のうたに沁みて和んだのであった
ライヴ後に
ハモニカ・キッチンでいろんなきのこホイル焼きしたの食べてああおいしいようと思ったりしたのであった
・・・
カワイイものがカワイイのもうたがうつくしいのも
生きてく意識や無意識によってそう認識されるんだろうか?
・・・