頭悪そうでなく実際頭悪いのであたし、

http://c.2ch.net/test/-/book/1178945604/212-の215に書かれるまでもなく!
だから

文学界 2008年 03月号 [雑誌]

文学界 2008年 03月号 [雑誌]

の、
いとうせいこうさんの川上未映子論「野蛮な本格」のとくに、

文筆歌手という、いかにもサブカルチャーに親和的な肩書きに反して、川上未映子は本格的な純文学作家である。

(122頁)
ってとこも論ぜんぶもこれなんて書いてあるのん、ともいっかいのたのた振り返ってみないと
落ち着くとこに落ち着かんわけであって落ち着かんといえばまあ、
きっと
素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく
素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく
素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく
素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく
素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく素晴らしく
お頭が良ろしい215さまからなんか、
悪意みたいなもんが振りかけられたんはやっぱりせつなくて
ここんとこの毎日の暮らしがなーんか苦しくてああ、OEOE嗚咽っと吐き気もするしたとえるなら
大好きなダーリンの精液も咽喉を通らないありさまであってでもほらあたし、
京都大学に現役で合格しちゃうきょうだいなんかいるせいで昔はちょっと、大いに
色色色色色色々なことがあって先入観もたれたりで決して人から誤解されんようにと
そのまんまの頭の悪さを表出そのまんま出そうとしてきたのであって
だから頭悪そうに見られるんは望むところであって
だから頭悪そうと言われた215さんには


「ありがとう、最高の褒め言葉だ」


とこないだの『機動戦士ガンダム00』の刹那くんみたいに言えれば良いのだけれども悪意、
この215の萎びた悪意は何なの?って思ってしまうし
ああ215さんは頭が良いってことが215さんにとっての埃なんだろうけど
あたしをバカだと思うやら
豊崎由美社長アンチ発言するやらで自意識保ってるなんて
なーんか悲しすぎるぞあんた、とか思うし
頭の良さにしかすがるもんがないんやろーなーと思うし
じゃあ他の要素はきっとだめだめなんやろなと思うし
実際のあんたは知らんけどきっとキモイし存在が臭いし大変なんやろな思うし
ああホント、リアル目の前におんどれがいなくて良かったわ思うし
言うたりたいわ、






>215
死にさらせ、
この
腐れ童貞がああああああっ!!!!!

ってまあ頭悪いんでこんなけなげな*1悪口しかよう言えんのもやっぱ、切ないわ、はあ(泣。
・・・
でもって、
未映子さんはサブカルでなくて純文学」、
まあ"サブカル not = サブカルチャー"でないのって細かい話しもありますがおいといて、うん、
頭良いと書いてあることが読んだままスパッと解るんやろうけど
あたしの場合はたどたどたどたどただた、
書いてあることを摑み直していかんと何も摑めんわけであって
↑の出だしは
川上未映子サブカルでない、と、
川上未映子は純文学である、とが書いてあるわけね、ふむ、と。
で次にせいこうさんは川上さんの前には
サブカル由来な作家さんたちが出てきておって、というように、

むしろ、彼女の前に出現した数人のひ若い作家たちこそが、明らかに特定出来る漫画の下敷きのもとに作品をなし(それも圧倒的な影響下にあるその漫画家に献辞も捧げずに!)、または有名バンドの歌詞に大きな刺激を受けてきた。

(ここんとこ↑も、122頁、てか↑誰、だあれのことかしら〜(w )
と書きはる、そして、

先端で、さすわさされるわそらええわ

先端で、さすわさされるわそらええわ


「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」にて言及される作家たち、
三島由紀夫
小林秀雄
樋口一葉
森鷗外
伊藤野枝
大杉栄
など並べて未映子さんの出自の論拠とされている(らしい)のだけれども
ああ、でも「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」これあたしユリイカの、
ユリイカ2005年11月号 特集=文化系女子カタログ

ユリイカ2005年11月号 特集=文化系女子カタログ

で読んだのだから最初は、
だから
サブカルサブカルサブカルかも知らん、
文化系女子部の中の文学部、
特集に並ぶクラブ宿舎の中での純文学クラブ女子がいっとう手におえんよね、って認識やったあたし、
この認識とあの書き出しの距離をどうとるか、
先端でさすかさされるかどうするか、どうしようかしら、ってことだなあうんうん、と思うべな。
む、
むむむむむむむ?
ちょい待って、む、ん、あ、ゆりいか(苦笑)!
あ分かった、あたしの懸念、だか違和感、何だか思うのは


じゃあこの先も
未映子さんテキストはサブカルから切り離されてずっと、純粋文学物件なのかしらせいこうさん?


ってとこででも「野蛮な本格」、
出だしに分けることが書いてあるけど
実はその後に、混ざる、混じる、混ぜることが川上未映子文体について語られてるとこに書いてあって、
そうやってようやってあたしはそういえば、
サブカルで文学(みたいなもの、になるのかも知れん)を書くことと、
文学でサブカルを書くことは違うのね、とやっとこさ思い当たったりします、うん。
ふーん、
ほうおー、
そおかあ、ふむふむ、なんて。


でさ、せいこうさんの論文たぶん、
川上未映子文体は文学における言文一致の概念を問い直すものである、
と言ってるような気がする・・・、ところはやっぱヤバ、おお面白え〜〜〜!って思うんであって
ネットで、凡百の無名人の文学マニヤが
樋口一葉と比べてまだまだだな、とか書くつまらん感性とはやっぱ差がついてて流石って思うし
未映子さん文体がまだまだだとしたらその比較対照は未来の未映子文しかなくね?と思うくらいに
未映子さん文体は今のもの、そのものであってそれは
真似したくなるものにとっては真似したくてたまらなくて、つい、もありわざと、でもある、
真似してしまう文体の意味つったらそれは今まで映らなかったのにある日突然みえてしまった鏡、
であってそれは、
知らされなかった今までは、たどることすら許されなかった言葉の身体、なのだ、と思う、
あたしの言葉の身体。
今はついなれてなくて理想の曲線を追おうとして逆に無様になってしまうのだけれど
それはおいおい、ちゃんと
このもののカタチをなぞれるんようになるんでないかと、希望、野望、あるいは絶望(に至るの?)。

*1:かっこわらい。