でも倉橋ヨエコソングはドラえもんみたいなもんかも説。

ずっとずっと婦人用友だちだよ。でもただいまのび太くんがひとりでジャイアンと喧嘩した日、みたいなことを東京ピアノひそかに色々ホントの最終回だと思いつつの礼お付き合い、みたいなそんな人間辞めてもカンジかたで愛しモダンガール続けてゆくもんじゃね?損と嘘とか御中元思いますわよ楯ヨエコさんに思ふ壺礼!


とりあえず、
倉橋ヨエコを廃業したヨエコさんの中の人は、次のどこかへ旅立たれるのでしょう♪
・・・
名古屋クラブクアトロでの「感謝的 解体ヨエコ ツアー」もこないだ行ってまいりました。
未来で
この稀有な音楽家倉橋ヨエコ」の存在を知り、
未来からこの頁を見に来られたあなたに、ちょっと自慢したい気持ち、みたいのもあり〜。
おしまいあたりのナマヨエコ、観たんだぜ聴いたんだぜあたし。いい〜だろお〜〜〜♪♪♪


タワレコヴィレヴァンインストアライヴも行きましたっけ。
もそりゃすごい近距離で。
TOKUZOのライヴもクアトロのも。
しんみりし、歌詞のあんまりさに内心笑っちゃったりもし、そして打鍵と歌の強さに圧倒され


泣いたり。


(あたし的には)最後になる生ヨエコは
歌うときは楽しく楽しく美しく、
語るときはしっかり、しっかり、ヨエコさんの見定めた道を語っておられました。
ヨエコさんにとって、音楽がどのようであったのか、歌が、どのように産み出されるものであったのか、を含め、
引きとめようとする関係者さんたちにも、
いっぱい、いっぱい、話されたのでしょう、そんなこと。
だから
解ってしまう。
ホントのホントのところは解りようもないことかもだけども、
そういうこともあるのか、と。
「今のいま、辞めるの何で?」と言いたくも、ああ、
ああ此処まで倉橋ヨエコ倉橋ヨエコであったのか、と。
表出が、
手段ではなくただ目的そのものであった音楽。感情そのもののような、しかし
とても美しかったもの。
暗いことも情けないことも含んでみっともない気持ちもあって、けれどだからあたしは捕まって、
それがそれが、とてもうれしかったこと。

私は継続していることが尊いとはあまり思わないです。いいものが1作でも届けられたら、その誕生こそが素晴らしいと思うんです。だから、もし、誰かにこの10年の作品で"この曲がいい"って感じて頂けるものが書けていたのだとしたら、もう充分に幸せです。自分で、"すごい曲と出会っちゃった"って思える曲が死ぬまでに1曲でも書けたらいいなと切望するこの気迫で毎日精進していきたいと思っております。

こちらは『ぴあ No.514』に載ってた椎名林檎さんへのインタヴュー記事での椎名さんの発言。
人が様々であるように当たり前に
表現者のタイプもさまざまで、林檎さんもかっけええけども
ヨエコさんは
『解体ピアノ』を撮り終えて「うん、もうこれ以上はない」と確信して
これより上も、ここまでに加えるものも、もう無いと、作った音楽を発表されることはないそうです。


淋しい。でもなんて凛々しいのやら。