旅行中ぺにすのこととかかんがえた。

兼六園、池の中の巨大亀、
 身体は島でアタマは岩石でした。屹立してさぞかし、硬かろう亀頭。
ロン・ミュエック*1、みてきました。
 金沢21世紀美術館、日本では初めての個展だそう。
 (http://www.kanazawa21.jp/exhibit/mueck/index.html
・シンプルには、
 書籍ロン・ミュエックで知り「これは行かねば」と思い、
 行ってみたら、うんこれは、やっぱ現物を観るものですね!
 っていう満足。
・だってかわいかったんやもん。
 これぞ「かわいいもの」。
・な、
 たんじゅんなことをおいて、
 「ハイパーリアリズムとは何ぞや、あーやこーや」なこともあったりしつつだって、
 リアルにハイパーつく、って何事?
 とかゆうこともあるんだもん。
・「なぜ今?」というのはあるねえ、美術館、すごい、人入ってたし。この人気。
 美術鑑賞マニアばかりではあるまい。
 あの美術館でやってるから、っていうのもあるだろうけども。
 新しくて、
 こんなの無かった(ミュエックさんはずっと造り続けてきたわけだけれども)っていうカンジ。
 あの「リアルな」レヴェルで出来てるっていうのは
 技術てきなことのすすみ具合と絡んでいるのだろうけど。
・たしかに、
 古典的な(石彫ったのとか木彫ったのとか)彫刻から見ると何やら
 聖性っぽいものは失われているな、
 ってふと思っちゃったりもしないでもないけど、
 それでいいの?みたいな。
 それでもって、
 存在のグロテスクさ、とか見出しちゃったりしててもいいの?みたいな。
 ぎゃくに、
 ふるい彫刻に対してあーなんか神々しい、とか思ったりすることは何かしらねえ?とか。
・でもって「イン・ベッド」の彼女、
 うでんとこのふっくらした張りぐあいとか、ああなんか愛しいなあ、って。
・「舟の中の男」の人の男性器はアタマ出てて、
 「野性的な男」の彼は包茎ちゃんだったわけだけれどもそれって、
 主題的な意味はあるのかしら無いのかしら?
 たまたまモデルの人が剥けてたり剥けてなかたりしてただけー???
 リアルもハイパー化すると、
 単純化を拒む偶然性が介入せざるを得ないわけだ、ったりして。
・「舟の中の男」の人のおちんちん、
 舟の先がなーんか金貨駆使みたくなってて
 あたしの身長だとちょい背伸びしてちょうど向き合える、ってふうなんだけども
 そこにミュエックさんからあたしへの、
 隠されたメッセージがあるのか、ないない、とか思いながら背伸びしてたのってどうだろ、
 いやいや。
・・・
同時に開催されてたサイトウ・マコト展とかプールとか空が見える部屋については次回。
書くかも。


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