鏡はそのとき80年代(エイティーズ)、天井から下げられてくるくる回った。

青年のための読書クラブ 1 (Flex Comix)

青年のための読書クラブ 1 (Flex Comix)

これはこれは鏡の話し。
女の子の話しには鏡が似合う。だってそれしかないんだもの。


ところでまんず、
鏡の壁のこちらと向こう、まさか映ってるものが同じものだなんて、
思っちゃないよね?
そして鏡に見えるもの、それは自分でしかなくて。
それが鏡って壁の限界、
でもって自分ってものにも限界があって、
それは自分が実は鏡からしか出来てないこと。


あれかしら、ただひとつ、ひとつという数すらなくてそれはぜんぶで、
ぜんぶの数も一つでなくただぜんぶ、








やったのに、


ちぎれるちぎれるちぎれるそれは何、
あとで知る言葉で言うと悪魔のような天使のような、でもとどのつまりそれは
お母さん。


おかあああああああああああああさん、なぜちぎれて


わたしに輪郭を教えるのか。
ただひとつからちぎれてこぼされたこれがわたし、わたし、わたし、どんな形?
鏡を見て
そこにある、りんかくにわたしを流しこんでみよう
もういちどただひとつになるように、
それは無理。
そばにある、人の形をしたものにも注いでみよう、
こんにちわ
もうひとりのじぶん。おにんぎょうさん。
・・・
桜庭一樹著『青年のための読書クラブ』って小説はタカハシマコで反射して
このマンガになったよ、の第1巻。
収められたおはなしは2つ、
世界を映した小世界、聖マリアナ学園の、読書クラブによる、
学園正史に対してひそかに編まれ続けられる影の年代記から
シラノ・ド・ベルジュラック』を映した1960年代と
マクベス』を映した1980年代。


60年代のエピソードでは庶民出の私生児が学園に入学し、
臭いくさいと扱われる、というか無視される。
マンガでは異臭の元は明確には示されていないっぽい。
母親がやっていた商売の、串カツの臭いかしらん、と彼女は思うが。
彼女はかように学園の生徒が遠ざけようとする何か、を映してしまうものだが
当時の読者クラブの部長、
容貌コンプレックスのシラノに自分の身体を見るこの人に、
自分の"精神"を注ぎ込む、器の資質を見出される。
彼女はひょろっとした身長をしており妙におどおどしていたりしてたのだ、
それは、すらっとした背の高さとして、
印象的な手足の長さと相俟って読み替えられるだろう、やがて。
部長が導く、シナリオに従った言動があれば。


そしてここに
女学園版『野ブタ。をプロデュース』が始まるのであった、て、それは
野ブタ』の元ネタも『シラノ』かいっ
なあんて言い出しそうにもなったりするけどでも思えば、
アイドルプロデュースはなべて『シラノ』なだけなんでした。


プロデュース計画は
部長の指示に従い第一学期では学級・学校内での存在感をいったん消去し
夏休みに積み重ねた特訓とイメチェンを終えた新学期を経て
やがて彼女が
学園の"王子"に選出されるに至って頂点を向かえるわけだけどその後の展開は控えるとして、
王子というのもまた、
現実の男性から臭みを抜いた反射物であることよ、
でもって王子を"愛する"少女たちは勿論、おんなの臭いだって・・・、なわけであるわな、と。


さて、
マリアナ学園には創立者である修道女のでっかい像が、世界の中心にそびえており、
王子を演じる彼女はその表情を読み取ろうとするが読み切れない。
さいごに彼女は鏡に映った自分と見比べてある結論を出すのだけれど、
それもまたおいておいて、像、
人のカタチをして人でないものはつまり、鏡だろう。
アイドルもまた、
人であることから遠ざかっていたほうがよく映る鏡であるに違いない。


1960年代のお話しに登場した鏡はとても大きく重いものであったけど
打ち壊されたわけでもあるまいに創立者像は
1980年代のお話しのコマには描かれてなかったはずで、
そのかわり
バブル期に学園になだれ込んで入学してきた、大っきな扇子ひらひらさせる、
新興なりきn・・・資本家さんちのネオお嬢さまたちによって占拠された生徒会室の天井に
ミラーボールがつるされて、くるくる回って、光を散らすんであった。






と、
記憶だけで書いてみたけど生徒会室でなくて体育館だったかしら。
ま、
鏡に映るものが現物そのものなわきゃないのである(っていいかげんな)。