死とウンコの冒険

こないだの『ミチコとハッチン』がすんばらしくて。
東京あたりじゃもう終わったんでしょ?
名古屋じゃまだ最終回まで放送してなくて、つうか最終回、今日だ、いや明日か最終回、
ともかく今晩。てか明朝。
だからすんばらしくて感動した、つーのは
さいごからいっこまえのエピソード、「狂い咲きラストワルツ」だ。
・・・
あそこには完璧に、あたしが見たかったものがあった
、、、つか
あたりまえみたくふーんって見てその実ピンときはしないようなものとは、
ぜんぜん無縁であってココロに揺さぶりかけられたね♪
(じつは↑の「♪」マークはそぐってない)
ハナと離れて警察に追われてるミチコは遊園地(フェアグラウンドアトラクション?)に入り込み、
サーカスのテント?に身を隠すんだけど
そこで働くおばあさんと息子夫婦?きょうだい?がいて、
人質にする気もないのにおばあさんに騒がれる。
おばあさんは拳銃を見ておびえているようでもありパニックになってて叫び続けてて、
テントの電源が切られ警官隊が突入して、
ミチコはそこを逃げるんだけども
おばあさんは声を上げながら若い警官のほうに走り寄ったせいで誤射されて、絶命してしまう。
侵入したミチコに脅え、救いの警官に安堵して向かった、というふうではまるでない。
やって来たミチコによって自分の死の入り口を見てしまい、
悲鳴をあげつつも自らその穴のほうに歩んで行ってしまったようであって。


若い警官の上司はミチコが落とした拳銃を鑑識に回させ?「忘れようじゃないか」と彼に言う。
ミチコに罪を被せて。
アンフェアでも生き延びようとするものの論理。


そしてハナのほうでもひとつの死があって、
ハナを連れてヒロシを追っていたサトシ・バティスタが殺されてしまう。
裏社会でかつて築いていた地位では取るに足らないであろうチンピラに、襤褸雑巾のように。
その死はたぶん、撃たれそうになったハナをつい庇ってしまったせいでもあって、
せつないけれど一瞬の何かの輝きでもあったようでもあるけれど、死んで行く様は、
チンピラどもに嘲られ、笑われ、悲惨で。


警察に追われつつミチコはハナを見つけ
銃弾から逃れたハナはミチコを呼び、ふたりは手をつなぐ。


エピソードの始まりでミチコが見ていた夢のように。
その夢とは状況が、違うんだけれども。


さいごのその瞬間、あたしの気分があがった。
・・・
危機があって、危機が過ぎて、
生き延びられたことを自覚したとき、人はハイになるものなんであろう、と思う。
そこに至るまでにあるのは、不安やら恐怖やら苦痛だから。
さいごに悦楽が待っているからって、
そこに至る過程までをもテンションあげて描いて、
死のヴィジョンを覆い隠すこともない。
いやな
いやな
いやな気分があれば良いと思う。少なくともあたしの好みはそうだ。
もしかしたら、
"正しい"演出だっていらなくていいかも、
"失敗"してダメダメであってさえもいいかもしれない、少なくとも、
テンポ良いカット割りの編集の、ノリが良いアクションシーンなんていらない。


少なくともあたしの好みはそうだ。
・・・
あたしにとって死はいつもウンコのような何ものかである。


ときどき夢に見る、
たとえば学生時代に戻った授業中、
窓の外見たら一瞬で黒い毒雲に覆われちゃって逃げられなかったり、とか
たとえば何度も来たことのある見知らぬ街の曲がり角を一本間違えて
サイコキラーがうずくまってる道に踏み込んじゃったり、とか
死に至りかけるような悪夢でいつも夢に見る、「ありゃこれはやっちまったな」感は
あたしがこれまでウンコをめぐってやらかしてきた数々の失敗(詳細略(汗 )の
「やっちまった」感と
なんかとっても同質な、感じがするんだよねん。


死とは誰にとっても自分の死いがいの何ものでもなく、
でもって
自分の死は決して自分では見ることが出来ない。
人は、
そんな見れない死を自分いがいの死に注いでみたりもする。別離と混ぜて。