日々を楽しく過したいだけで
誰かのアンチになりたい訳でもなく
自己の粘着に酔い痴れるのも心地良くはないので
もう書くつもりではなかったのだが
まだ、ケリはついてなかったのだろう、
たいがいのことは書き終えれば過ぎ去ってしまうものなのだけれど
もやもやした感情がアタマの中で燻り続けてた後、ひとつの思いつきがあり、
その訪れは私を楽しませた
考えを続けることによって得られた発見のよろこびのために
あの人の、
思考が中途で放棄された状態*1でばら撒かれる発言について、
もういちど記そう
・・・
銀座の映画館でスピルバーグアウシュビッツユダヤ強制収容所を題材にして撮った映画、
シンドラーのリスト』を観終わったときのことを思い出した
私としてはどうにも懐かしい、という感情にとらわれていて、
しかしそれはあたり前の話しだが私の前世があの場所で殺害された人たちのひとりだったわけもなく
であれば恐怖にとらわれていたはすで、現実に亡くなった方々に対して失礼以外のなにものでもなく
映画というのはなかなか罪深い楽しみなのだなという思いのなかにいたのだけれど
外にはタカラヅカを観に来ていたファンの少女たちが溢れており
私の先に劇場を出たご婦人たちのひとりが言ったものだった
「あの子たちに言いたいわ、私たちは今ホンモノを観てきたのよ!」

ば〜か。楽しんだってことについては同質なんだよ、おばさん

とは言いはしなかったのだけれど。
・・・
どこぞの映画祭で『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に涙したセレブたちってのも厭な構図だったり。
・・・
苦手なジャンルなのでその分野についての知識はありませんと言うのではなく、
ほとんど無知なわりにそのジャンルの悪口を言いつつ
コレとコレだけが聴くに値するものですよ
と人に勧めてしまう厚顔っぷりというのは一体ヒトとしてどうか、とそれにしても思ってしまう

美輪明宏ビートルズをとりあえず認めているのは
彼らの音楽の元にバロック音楽の要素があるからなんだそうだ
クラシックを学んだデーモン小暮のやっていたバンドも聴ける、との発言もある

とどのつまりは「これが本物だ」などと言ってる人間を見てしまうと
ホントにそうか? とツッコミたくなるわけで、

バロック・古典ならば本物である、という見方に対しては

1750年の死から250年もたつというのに
ヨーロッパ音楽はまだバッハを鏡として
自己中心的な夢にひたっているのか

と始まる、高橋悠治の「バッハから遠く離れて」というテキストが興味深いと言っておこう*2

方法論となった作曲技術が作曲家という職業を成り立たせ、
記号化した音楽は生活や、アマチュア演奏家から分離し、
音楽の啓蒙主義が世界を支配して行く

その果てに、

高橋氏が演奏したシェーンベルクピアノ曲を聴いたヘルマン・シェルヘンの発言。
プロイセンのこの精密さは全世界を征服した」
・・・
それが優れているということ、……だから良いという理由、
そうした考えを突き詰めるよりも先にたいがいヒトは感動したがり、感動し、
その体験を吹聴したがる
・・・
すぐれた表現技術に圧倒されて、泣いて、
あるいは天才の仕事に触れて、感動して、
だからそれが何?


いまの日本で、たしかに不況ではあるんだけど
ヨイトマケの唄」を魂から必要としている人はどれくらいいるのか、ということ
存在の飢えを真に満たされた者たちによって語られているのかどうか?
聴いて、世界が一変しまったくらいに。

ヴァーチャリアルな悲しみに浸った後はおいしものでも食べに行き
真の芸術を目撃してしまった喜びを語り合って
まだ知らない友人に教えてあげなきゃね、とかなんとか言ってる☆だけ☆なんじゃないの?

これがきのう、思いついたこと。
・・・
何がホンモノかってそりゃ、
叫ばずにいられない人の未熟な音楽、あるいは音楽以前の音楽、
それらの中から残されてケイゾクされてゆくもの、
それ以外にない、そうだろ?

*1:つまりは、バカの壁に突き当たったのだろう

*2:ぐぐれば読めます