詩熱、詩熱、詩熱と言っても別に「死ねっ×3」って言ってるわけではないしね。

(↑表題に意味はありません。たぶん)

現代詩手帖 2009年 01月号 [雑誌]

現代詩手帖 2009年 01月号 [雑誌]

いやあ文芸誌な詩の本て買うの始めてやわあ。ん?
て、ユリイカは?
ユリイカは買うてるけどどないやねん、そゆえば詩の本やった、特集部分で
色色色色色色色々やってはるけどなー、って、はい、
現代詩手帖1月号』買いましたよ
川上未映子さんの「旅行熱」って詩が載ってるからみえこ熱に浮かされて。
特集は「現代日本詩集2009」、
て、あれ?
「じゃいつもはこの人、いやこの本なにしてはるのん?」とか思ってしまい
というのは
その思いかたっていうのは
詩の雑誌っていつも詩を集めてるもんと違うのかっ?!
ってうっかりかなりな疑問な気がしてしまったふうの、
えっとたとえば少年ジャンプで「現代日本マンガ集2009」号とかあったら
その他の号では何をしたらええの?何をしてるの?
とかゆうような混乱した思いかたのカン違いってかカンのずれ、
他の号では詩人お一人誰やれさん特集だの、テーマをひとつ立てての特集だの
よく考えればそうなっているのはあたりまえだった、と
バックナンバーの頁にゆき着いたら得心してしまったけれども
そういえば少年ジャンプとかマンガ雑誌はもちろんそうゆう風なものではなかったのだなあ
マンガな世界で言えば『現代詩手帖』は、
『ぱふ』とか『FUSION PRODUCT ふゅーじょんぷろだくと』とか『COMIC BOX』みたいなもので
でもそうするとそう言えば、
『ぱふ』とかでマンガ短篇が集まった号、みたいんなのは無かったなあ、あたしが知る限り。
でまあその疑問、てかカン違いを解くために
バックナンバー頁を彼方此方あの頁この頁探し求めてしまったわけだけれどもそんとき、
広告てか図書目録において詩人さんらの本の宣伝が、
詩人さんらの顔写真付きでズラズラと載っておってあらこれは、一体何のメッセージ?
とか思うわけで、
むっさそおな文学青年男子ども*1なら未映子さんのメディア露出を
あーだこーだ、うだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだ×1億くらい、
腐れブログやらなんやらに書き腐るくせに
現代詩部ではそおゆう陰湿なこともないのかしらとか思うけどもでもメッセージ、
たとえば丸眼鏡に口髭のおじさまは丸眼鏡に口髭な詩を書いてそれを集めてこの本、
たとえばダンディに痩せてネクタイ着用されてる方は
ダンディに痩せてネクタイ着用されてる詩書いてそれを集めてこの本、みたいなことであろうか、
逆に言うと
かの詩は、丸眼鏡に口髭な詩である、とか
かの詩はダンディに痩せてネクタイ着用されてる詩である、とか
解釈するのもアリだと言っても良い、のかしらどうかしら、
詩らん。詩らん、らんらんらん♪
とか歌いながらつらつらつらつら眺むれば、お・この人、
あごに手あててポーズ、キメてらっさる、おお・こんな手法も有効であったのか、さて次の頁、
めくればお顔でなくて本の表紙の写真。
なんだ顔出しNGの人もおるんやないのて風俗情報詩ですか、あいやごめんなさい大いに、
きっと深い深遠な信念あってのことかと思われマス、トマス・ピンチョンぐらいに?
とかゆってる場合でなくてさその下の、
三角みづ紀さんの写真、
ヤヴァイ!ヤヴァイ!ヤヴァイ!w 
目を瞑って、横顔見せて、さてその内心は、
「冗談で、ネタでやったんのよ、貴方だったら解かるでしょ?」っていってるふう、ぎゃはははっ、
いやホントは此処、笑うとこかどうか知りませんけどー
さらに。
さらに。
さらにー次の頁をめくってあらわれた、
誰が見てもお綺麗な目黒裕佳子さんのがエライことになってる気がしなくもないわけですが、
どえらいブラックボックスじゃね?とか思いますので本題にもどれば「旅行熱」はステキな詩、
つかおもしれえ。


川上未映子さんという方はときどきかなり、
オチを用意するテキストを書いちゃうひとで、
ミステリってジャンルに入ってることこそ最大のネタばれであるよ、っていう、
正しい見解をお持ちの方もいらっしゃったりするわけですが、
でもまあ書いちゃったごめんなさい、
以下はネタばれの可能性がありますー、、、け・ど、
未映子テキストにおいてはオチのあり方ではなくオチが用意される構造、
そこが大事な問題よきっと。
その辺押井守映画と共通してたりするのやも。、
さて「旅行熱」の旅行熱、それは何?
ダウンタウンの松っちゃんの、
「すべらない話」ではないけどそれに似たようなカンジで、
わたくし的に違和感を覚えたり腹が立ったりすることをネタにしゃべって笑かす、てな番組が
お正月くらいに何回か、名古屋深夜で放送されててそれをみましてその中に、
「観光」ってどうなのよ、
"光を観る"って何なのよ、
「観行」で、
"観に行く"でええやん、というのがありましたが、ねえ観光てば、観光地てば、ホントに。


あるのかしら、そこに光が? ほんとのホントに?


みたいなことを思わせられずにはいられない詩でありまして
登場するのはいつもの、て変か?
アスペクトの連作短篇に登場されてた恋愛の、これぞ醍醐味彼とのディスコミュニケーション
ずっぽり味わいつくしてらさっさるズンドコどん底かの女でありまして
さて今回は、
彼と喧嘩して
愉しい旅行計画(もしかしたらふたりの関係補完計画なのかしら?)がおじゃんになった果ての、
ひとり旅、
という意味に確定することを確認するような旅行先、でありまして、
それらを観つつ見つつ描写する、かの女(「わたし」)の視線から語りから
観光地に集った人々もホテルも何やら鈍くあり、
それからレストランの料理からも海からも波からも、
さて、
わたしたちが熱に浮かされて集ってしまう観光地、そこには


あるのかしら?
光が






ほんとのホントに?


という問いが、
実はひそかに詩のことに、
詩の本には詩があるの? 
それって光?
みたいなことにずらされてってってたりして、それは、
『そらすこ』そら頭はでかいです、世界がすこんと入りますに基調音としてあって、
ゴッホさんやら坂本弘道さんについて書かれたものとかに特にはなはだしく表れる、
創作論とも結びついたりしてもう一度、


詩の本には詩があるの、


とか言い出しちゃったりしたくなるような詩である、ような気がする不穏。


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*1:・・・女子も?