映画になった『エウレカセブン』みてきましたよ。
はじめに、
これだけは言っておきましょう、
冒頭数分間、
涙腺の水門が決壊しました。してました。泣きっぱなし。
子どもレントン、子どもエウレカ、子どもニルヴァーシュ。
夜で。
雪の日で。
胸を痛める願いがあって。
人類は戦争してて。
そんな子どもたちをドミニク先生が見護ってて。
でも先生は"旅"に出なくてはなりません。
ああ、これは、、、
なんてまあ最高の出だしなんですかあ〜〜〜、と、思ったんですけども。
その後、
映画と感情のリンクがぶち切れましたわ、
あんまりー
悪口とか言いたくもないんデスけど、
それどころか
もいっかい観に行きたくもなったりしてコマッタモノデス、
んがっ!
何よいったい?!
て言うのは
雪の夜があってその後
エウレカと一緒に暮らしてた研究所でエウレカが軍に連れ去られて、
そんときレントンはおしっこちびるくらい怖くてわが身がふがいない思いしたっていうのに数年後、
レントンは軍に入っちゃって
(軍がやることについても何にも疑ってなくって。ん?ん?んんんっー???)
エウレカと再会するんだけれども
そんとき反乱軍であることを明らかにした月光号のホランドに抗議するってどうよ?
つか、
ぽかあ〜んとさせられて以後わたくし置き去りにされたまんまスクリーン見てたり。
あー
TVシリーズのサブカル引用も別にただの引用だったのね、
その意味も効果も
要するにただの洒落だったんだ、スタッフさんにとっては!
とか思うんだけどもなおもそうしたことにナニカを読み込み続けてやるよあたしは!
とか思いながら、
かわゆいニルヴァーシュがいきなり*1戦闘メカに成長してることもスルーですかいっ!!
ってゆうことにもじりじりしたり。
むむむむー
いま劇場版『エウレカセブン』をオリジナル・ストーリーでやる意味って、
TVシリーズ見てなかった層にも「うん、これ面白いよっ」って
叫ばせることだと思ってたんですけど、
全然そうじゃなかったんですかあああああっ、うわあ吃驚(泣
な、
新作ストーリーなのにただよいまくりなダイジェスト臭(大泣
あのね、
友だち誘おうかなって思ってたんですけど。
ふだんテレビアニメ見てなくって、でもアニメーションに対して別に偏見とかはなくって
面白いものには面白いって言ってくれるひとなんですけども。
こりゃ無理っておもいました。
高度なSF設定って高度なままで解れない人にとっては念仏で良いんだとおもう、
あ、
なんか理屈があるんだなって思わされれば*2ね
でも気持ちの筋とおしてもらわなきゃポカンとするだけだってばよ!
何で?
なんでニルヴァーシュがレントンと戦うようになるに至る糸を繋げ(て観客に見せ)ないの?
あああああっ!?
なんて、なんてもったいない。
もしかしたら
「ニルヴァーシュ、大きくなってエウレカとレントンを護っておあげ」とかさーーー、
あの雪の夜たったひと言、
ドミニク先生がそんなふうに言うだけで後々さまざまなこと、
ああそういうものかって
わたしの友だちだって受け止めれる映画になってたかも知れないのに。
レントンと軍との関係にしてもそうだけど
脚本の段階でそういう調整、
客観的な視点による見直しって、欠片も入らないものなのかしらん???むぅーーー。
・・・
それとさー
押井守監督の『スカイ・クロラ』であんな、あんな新聞の表現出ちゃったらもお、
ハップの読んでる新聞、
あんなん出しちゃ駄目!
と思わなくちゃいけないんじゃないんだろうかと思うわマジで。
(『スカイ・クロラ』がテーマ的に、
日常の道具の諸々をもの凄い密度でやらなくちゃいけなかったけど
『エウレカセブン』はそういうこと(テーマ)ではない、ってことかも知れないにしたって!)
・・・
それでもまあ、
今回"ドミニク先生の教え"としてあらわれたあの言葉、
再チャージさせてもらってありがとうございました、ってのはあるんデスけどね。
あと、
ジエンドとニルヴァーシュの戦闘にはもえたぜ*3!
■■■