アリスを放つ
アリスを放つ、
アリスを放つ、世界へ。
アリスを放つ、オルタナティヴな
もうひとつの世界史へ。
・・・
ワンダーランドから帰還したアリスが中国との貿易に乗り出すというのだから、
テンション上がらずにはいられなかった!
というのが
ティム・バートン監督『アリス・イン・ワンダーランド』、
観終えたあたしのリアクションであって、だって、
此処から、
アヘン戦争だのなんだの、
碌でもなかったリアル世界史とは別の
可能性のある時間が始まるんだよね、ティム!?
とか思って嬉しくなったわけで、
だってアリスは、
自己疎外と他者疎外の問題を
ワンダーランドで向き合ってきたのだもの、つまり、
悪と戦う(by高橋源一郎)ことをしてきた彼女が
世界をしょって立とうとするのだもの。
(そゆや、ディズニーのこれもドラッグ臭ばりばりなものデシタけど、
大っきくなってワンダーランドの夢を体感したアリスは
アヘンが人(あるいは"東洋人"という(内なる?)他者)にどんな影響を与えるか、
それなりの見識を持つだろう、っていうか
ちゃんと考え判断するよね?っていう期待もあったり。)
ねえ、いつだって、
ティムの映画はまっとうなやつらへの異議申し立てなんだもの♪
でもってまた、
自分の畸形に押し潰されないこと、
それもあった筈で。
(ああ、また、
色色色々と、観直さなくっちゃね、ティム映画。
そして
木地雅映子さんのとかとか
あと、
川上未映子さんのともリンクしたり。)
大っきくなったアリスはどう生きる?
そんな問いこそまったくもって、
原作者ルイス・キャロス、ドジソン先生が考えたくもなかったことで、
『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』[に
欠落してた筈のもので、
(『不思議の・・・』のさいごのとこに何か、書いてありますけども、、、
とってつけた感があって信用ならない、て言ったらダメですか?)
だってまあぶっちゃけ教授はアレだもの、ロ×××。
ってゆうの、
ああゆう写真を撮ってたってゆう、伝記てき事実だけから言うのも不当かもなので
テキストについても言ってみると、
せんせいがこしらえたお話しの中で、
主人公アリスを大きくしたり小さくしたり、そのベクトルを
時間てきな成長からあくまで身体サイズのことに限定しちゃって
大きくなることがほとんどトラブルと結びつけられちゃって
それを引き起こす要因が、
食べたり飲んだりの身体てき欲求と関連づけられちゃったりで、
ああどうか君、成長しないで!
みたいなよけいなお世話な切なる願いがどうも込められている気がとってもしたりして
そもそも、
ヘンテコ世界の迷宮の中で少女を翻弄してるってゆうのが
つまりぶっちゃけ、
『アリス』のお話しはなんかぁキモイー、よね?
っていうことなわけでそこんとこ、
立派な英文学専攻の先生はあんまり言ってくれてないんじゃないのかしら、知らないけど、
っていう、でも実は
『アリス』読んでなーんか厭、
っていう印象を持つ読者はきっと少数じゃあないんだぜい。
・・・
そんなわけでああつまり、
あたしはつくづく少女革命(!!!)が
好きなんであって、
『エコール』の結末にめっちゃアレしたのも
自分で納得。それでも『エコール』も愛しい映画ですけどね、
でもああ、
ティム・バートン監督『アリス・イン・ワンダーランド』の
終わり方は、嬉しいなっと♪
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