僕は未来をAKIRAめない、

そうですか。あたしはそうでもありませんよ、なので

大友克洋監督『スチームボーイ』、
(注意:以下の戯言を読むと映画鑑賞時に妙なバイアスがかかる畏れがあります)
9年ががりで製作されたそうですけど最早映画の意味が
かの、9.11同時多発テロの起源をテクノロジーの発達という観点から
産業革命時にさかのぼりスチーム・パンクというヴァーチャルな歴史舞台において把握しようとしたもの、
って気がして
観ながら鬱入りまくりで暗黒でステキ♪って思いましたよ、
子どもたちに空想と夢を、ってなんの冗談〜? とかなんとか。
んで、
エンディングのアレってば、なおも愚行は繰り返されるってことなんじゃなかろうか、と。
・・・
・・・あと。
愚行と言えば何よりも彼によりも
アニメ映画に声優を起用しないことと言ってしまいたい
そんな態度はくだらない、あまりにも。
声優さんではリアリティが出せないというのなら
声優を起用しないかわりに日本で顔が知られている俳優さんとかではなくて、
オーディションで全くの素人さんとか、未知の新人さんとか選べよ、ってゆう。
あにめ監督の何かのコンプレックスの表出? とか
俳優の知名度に依存したセコイ営業戦略か? とか思うだけですよ、つーか、
声優さんに対して適確な演技指導が出来ないだけなんじゃないの? って気がします、
とか書いてしまうのは
スチームボーイ』始まる前に宮崎駿監督『ハウルの動く城』の予告編なぞも観てしまったからで、
その、声の人を前に出した宣伝の有り様に
なーんかもお、声優起用の動機に不信感抱きまくりっ!
(トトロの女の子たちのお父さんに糸井重里起用、ぐらいまではちゃんとした話しだったと思うけど)
って気分を引き摺ってしまいつつ『スチームボーイ』が始まってしまったからで。

だって絵じゃん、観客の目に映るのは。

実写とも舞台とも違う演技ベクトルが求められてしかるべき、だと思う、
早いはなし、レイ少年の声を聴きながら鈴木杏ちゃんの可愛くて綺麗なお顔が観たいなーって
意識上の分裂があって、
それは杏ちゃんが演技的に良かったか悪かったかの話しじゃなくて
(むしろ良ければ良いほど妙なドツボに落ちていく)
いちおう日本で一線のアニメ作家とされている、らしい宮崎監督ですら、
ちゃんと分かっていないことのなんだから役者の責任、というよりも
演出エラーなんじゃないのと思いますけどでも
小憎く可愛らしいスカーレット・オハラちゃんは
女優さんが喋ってるってのを忘れさせてステキなお声であり演技だったので
小西真奈美さんはこのアニメーションで"声優"をやったんだ、と言いたい。
・・・
・・・あと。
もひとつ愚行と言えば、
いやごめんなさい、愚行とか言う資格はないんですけど、
大友克洋さんが映画つくりたかったら映画つくればいいんですけどでも
アニメーション映画『スチームボーイ』を映画館で観てしまうこの歴史より、
大友克洋の新作マンガ『スチームボーイ』を読めるヨロコビと昂奮のあった歴史の方を、
切実に生きてみたかった、と思う。
あの映画に如何に多くの人の熱意と資本が注ぎ込まれていたとしても
あたしにとっての身勝手であるけれどもたしかな真実。

・・・
あと、
遅くなっちゃったけど↓(ほぼ日のテレビガイドの更新もあることですし)
・・・