トニー滝谷が好きだった、

機械の絵を描くこと(長じて仕事になった)は
日曜日にドキュメント番組の『情熱大陸』でみた、
鈴木成一デザイン室の鈴木成一氏の、
文字を模写する趣味と近いものがあるのかなーとも思うけど
お二人が似ているのかどうかはもちろん知りません。
情熱大陸』は、
平凡社新書臼田捷治著『装幀列伝』装幀列伝―本を設計する仕事人たち (平凡社新書)で、
鈴木氏にふれられていたことを確認するかのような内容でした、
鈴木氏と村上龍(敬称略)が一度も顔を合わせたことがない、
というエピソードまでやっていたし。
いま書店に並んでいる『半島を出よ』の仕事をされてる時期に撮られていて、
良いタイトルなんだけど字面で見ると・・・なんて悩んでたのが面白い、
それを鈴木氏がどう解決したか、
半島を出よ (上)半島を出よ (下)
結果は↑なんですけれども(はまぞう機能してるかな?)
「すごいなー」と思いましたよ

鈴木のブックデザインをひときわ特徴づけるのは、作家性の抑制ではなかろうか。

・・・(『装幀列伝』187頁から)
私が"鈴木成一デザイン室"という名前を意識するようになったのは
完全自殺マニュアル完全自殺マニュアルの装丁からで、
それには意図された無機質さがすっごくあったんだけれども
彼の「引き出し」はそれだけではなかったわけです、
(と書いてしまうのも的確ではない、かもしれないですね)
テキストにもっとも相応しい外見を与えようとする姿勢は
いわば透明な無名性の鈴木印となっていて、
番組で紹介されていた本の数々に、
え、これもあれもそうだったの!って驚いきつつ、納得してたのでした。
・・・

ただ単に上手い着こなしをする女ならけっこういた。これ見よがしに着飾っている女はそれ以上に沢山いた。でも彼女はそんな女たちとはぜんぜん違っていた。

・・・村上春樹作「トニー滝谷」・『レキシントンの幽霊レキシントンの幽霊 (文春文庫)125頁から)


トニー滝谷が結婚した「彼女」の服の着方は、
鈴木成一デザイン室の仕事のようだったかも知れないですね、って、
おっと何と、てことは
トニー滝谷と彼の妻は実は似たものどうしだった?


トニー滝谷」がどんなお話しだったのか、
もちろんいろんな見方が出来るんだろうけど、
一人で、
隠し通そう、隠し通せていると思われていたものに反逆される、

そんなことなのかも知れないと思うとこわい。
市川準監督がこの短篇を映画化した『トニー滝谷』を名古屋シネマテークで観て、
ラストシーンが、
えっとこれからどうなるんだろう、原作者はどう書いてるんだろうって
気になって仕方がない終わり方だったので
レイトショーのラモーンズのドキュメントも観てから、
ロビーで販売してた文庫本を買ってシネマテークを出て<や台や>に寄って
生ビール飲んだり麦焼酎のロック飲んだり
いか納豆とか若竹煮とか豆腐の揚げ出しとか梅茶漬けとか食べながら読んで、
「びっくりした」、
映画と小説の終わり方の違いに。でもやっぱ同じことだよん(泣、
ホントのラヴストーリーというものは孤独についてのストーリーなわけで、
そんなものをうっかり観てしまった恋人たちは
どんな会話をするんでしょうね?
それ、について、
メタ的に語り合うべきかお互いに見ないふりをしておくべきか?


トニー滝谷の妻は、
実は服を買わずにはいられなかった衝動を抱えていたわけで、
それはなにか歪みの発現なのかも知れないけれど
でも
鈴木成一デザイン室は日々素晴らしいものを生み出してるわけで
(お洋服を買いまくる消費生活と比べて
 収入に結びつけばイイという話しだけではない筈)
あるいはまた、
『END OF THE CENTURY』で語られていたジョーイ・ラモーンズのように
歪みはナニモノかに転化するものなんだ、と思いたい、
(かといってばかみたいにシアワセになったりはしないんだろう、
 『END OF THE CENTURY』で語られていたラモーンズのように)