おでこテカってます(違。
ライヴのあった夜の日の眠り、まったく憶えてられることのない夢を見て
けれど朝、
目覚めぼんやりした頭で昨夜聴いたうた、
自然に何度も何度も繰り返し聴いていて
意識の焦点のピント合わせがスローモーにすすむにつれ、
聴く、は歌う、へとやんわり移行し、
やや短い時間、つっかえることなく歌えてる自分をゆるやかに自覚し、
やがて歌詞がときどき思い出せなくなる日常のわたしになる、おはよう。
こんなアタマの朝なのだから夢で、
夢でも
深いところにもぐり込んでひそんでしまってたどれない時間もまた
幸福なライヴの反芻であったんじゃないかと
今のわたしに繋がらないその夢の中の、わたしをおめでとう、と祝福すらしたい気持ち。
あなたは素敵な世界の夢に棲んでます。
・・・
おとといは川上未映子さんと坂本弘道さんのデュオライヴ。
カフェ、ロジウラのマタハリにて。
二部構成で各々予約限定30数名、
すんごい間近でみられる聴ける、
こーんなプレミア感のある催しが実現しちゃったなりゆきの、ことの次第のなにがしに
偶然を思う 必然を思う
そんな思いに、奇蹟へのそれも混ぜちゃったり。
ああ不思議なこと。あたりまえに時間は流れる、それも不思議。
「麒麟児の世界」をうたう前に未映子さんから
歌に出てくる"額のしるしは*1"
ヘッセのデミアンからだって解説が入り
『デミアン』、
ずいぶん前に読んだけど忘れちゃったのは
ヴィデオでみたローリー・アンダーソンのあるライヴで、
ヘッセ狂の友だちに連れられてヘッセのお墓参りについてったら
ヘッセの奥さんのお墓がヘッセのそれの立派さに比べてあんまりに小っさくて質素だったので
持ってきた花束に皮肉を書いたメッセージを添えて帰ってきた、
ていうエピソードを語ってたのを聞いたから忘れようとした、
わけでなくて単に昔過ぎる読書だったせいでしょうでも
『デミアン』成分のなんやかはあたしの中のグノーシス趣味みたいなもんとして残って、
『少女革命ウテナ』みたとき復活したのね、
あ、
『1999年の夏休み』[rakuten:guruguru2:10023189:image]もか、
卵の殻を破らねば、うんぬんかんぬん、
ってだから萩尾望都リンクっすねつまりは。
世界を革命する力を!
とかなんとか(ココロの中で)叫んでるうちに歌唱はすすみ、
聞こえない、歌に出てくる「人々の感嘆の声」を聞きその場所に立つその人をちらりと幻視し
一瞬よりも短い時間にその人になりその人を見てる人になり
その人を見てるその人がその人になる達成を感じ
身体の反応は涙腺が刺激された状態になる、そうした感慨。
こうした感慨、その中味は何やろ、
この歌はあれですか、
ミームについてのあれかしら、
ネクサスするもの、
受け継がれていく絆、
幸福よりもそれよりもぼろぼろにもなったりもしでもその時、
振ってくるそれ、
そのときの達成、
圧倒的な。
ヒカリカガヤクコト。
人は遺伝子の乗り物*2と言われるし
文化における芸術における情報におけるDNAみたいなもの、ミーム、
それに使われるものだとしても
幸福以上のそれは
やはり幸福と言ってもよいのかしらとも思う。
『愛と哀しみのボレロ』も
繋げてゆく人々の時間軸が混じるその時へと至る物語、
『花粉』l]では
ユキヒロさんやらが、
誰から花粉貰ったか言い合いっこしましょう、なあんてやってましたね。
ああそうかあたしおととい未映子さん(と坂本さん)から受粉したんだ♪
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*1:「額にしるしのあるあなたを見つけた日から」(作詞作曲/未映子)
*2: