さて引き続き、

トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜』のビビる大木程度なレヴェルでお送りする*1
菊地成孔大谷能生
『憂鬱と官能を教えた学校 【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史』の、
読書メモ、みたいなもの。何へぇとか書きましょうか?


・33頁注(★27*2)に
バッハをムーグ・シンセサイザーで演奏した『スイッチト・オン・バッハ』っていうアルバムを出した、
ウォルター・カルロスという方の経歴が載ってるんですけど1939年生まれのこの方、1972年に性転換して
ウェンディ・カルロスという人になったちゃったそうで、
これってちょっと、うっかり妙な深読みをしちゃいそうな。
講義は、
平均律というシステムが音韻と音響からなる音楽から音韻要素を抽出して後の大量消費流通化を可能にした、
みたいな話しにもなってる、かと思うんですけど(言い方とか間違ってたりしたらゴメン)
むかーしは、(十二等分平均律以前ということですか)
音楽が記号化される前には、
グレゴリオ聖歌とか、いつ歌うとかまで決っていて、
ようするに音楽は持ち出し不可の、その場のもの、そこに拘束されているもの、だった、と。
それと、そんなことが、セックスにもあったり?
なんてことをもやっと思ってみたり。
えっと、
じぶんじんかくの総体的なものからセックス部分を抽出してアレンジしちゃえるようになったからこその、
向こう側の性へのアイデンティファイ? とか?*3
あーぼくはかわいくてきれいになりたい。アレンジ、アレンジ、シンセ奏でちゃえ〜っ♪
なんてね。
つか何が言いたいのかしら、あたし?

*1:誰に???

*2:ちなみに。本を開いて左上からの位置に、灰地の枠に横書きで注釈があって、この構成、すごく読みやすくって快適かいてき♪

*3:さらにその先には動物化するポストモダニズム人格ってばどーのこーの、っていう話しに続いていきそうな、みたいな?